
「無」になれる時間が好きだった頃 自分では気づかなかったのですが、私には『過集中』気味な面があるようです。まわりが見えなくなるくらい集中してしまい(集中している時は軽いトランス状態にあるような感じ?)、その後、糸が切れたように倒れてしまうような面。思えば、そんな私にとって、ピアノは絶好のツールだったのかもしれません。
習いごとをいくつかはじめては辞めて…が続く私にとって、ピアノは特別でした。幼稚園のときに初めてピアニカを弾いてワクワクした想い、夢の中で自分が優雅にピアノを弾いている姿を思い描いたり、年長のときに「ピアノを習いたい!」と両親に直談判したり。
「まずは1年間、習ってみなさい。ただし1年間はピアニカにして。1年続いたらピアノを買ってあげる」と両親に言われた時のことは、今でも鮮明に覚えています。目の前がキラキラ輝いているようでした。
1年後にピアノが我が家にやってきた時は言葉にできないくらい感激しました。ピアノを弾くのが楽しくて楽しくて、テレビやゲームにも全く興味が湧かないほど。
嬉しいとき、悲しいとき、ピアノを弾いていると、ピアノとお話しているようで癒されました。私にとって「無」になれる時間、まるで自分の魂がどこか違う世界に行っているような感覚(これをトランス状態というならそうかもしれません)に陥るのでした。
ピアニストを夢見て
心癒されるというピアノが持つチカラに魅了された私は、年長~中学3年生までずっと「ピアニストになりたい」という夢を抱くようになりました。
この期間、勉強にはあまり興味もなく、ピアノ以外のことは何をやっても続かない飽き性だった私が唯一夢中になったものがピアノで、ピアノのおかげで夢を持つことができたのです。
振り返れば、ピアノが好き→ピアノに癒される→自分の演奏で人を癒せるピアニストになりたいという私が抱いていた夢は「ピアノでみんなを笑顔にしたい」という、私の人生におけるビジョンにもつながっていたのかもしれません。

夢中になれるものの背景にはビジョンがある
今、私には小学3年生の息子がいます。息子が今夢中になっているものは、「ゲーム」「YouTube」「映画鑑賞」など私とはまったく違うタイプ。音楽をさせたいなぁと「ピアノ習ってみようか」と何度か持ちかけましたが、ダメでした。
そんな息子の夢はイマドキ小学生の流行にもれなく『YouTuberになること』。親としてはもっと違う夢を見つけてくれないかぁと思ったりもしたのですが、「どうしてYouTuberになりたいの?」と聞いたら、「みんなを笑顔にしたいから」と息子が答えたのです。
そうか、息子は「みんなを笑顔にしたいからYouTuberになりたいのか」。それに気づいたとき、私は、違う夢を見つけてくれないかぁと思っていた自分を反省しました。そして、私と息子、ピアノとYouTubeという「手段」は違うものの、同じ夢を抱いているのだと温かい気持ちにもなりました。
夢中になれるものはすぐに見つからなくてもいい
我が子が「夢中になれるもの」を探すことに必死になっている親も多いのではないでしょうか。私もそうでした。でも、もしかしたら、それは無理に探さなくてもよいのかもしれません。
幼い頃に、「夢中になれるもの」を見つけられると、成績をはじめその後の人生においてチカラを発揮していけることは、私も自身の経験を通じて感じています。でもそれは、好きだからこその「チャレンジすること」「目標を持つこと」ができる結果であり、最終的に辿り着くのは「人生のビジョン」でもあります。「こんな人になりたい」「こんな生き方をしたい」というものを我が子と共有することで、夢中になれるものは自然に見つかるような気がするからです。
息子の想いを知ってから私は、「みんなを笑顔にする人になれるにはこんなときどうしたらいいんだろうね?」と投げかけるようになりました。相変わらず息子が夢中になっているものは「ゲーム」「YouTube」「映画鑑賞」ですが、その先の息子のビジョンを知ることができた今は、それを認め、応援できるようになりました。

夢が叶わなくても得られるものがある
さてさて、私が長年「ピアニストになりたい」という夢はかなったのでしょうか。その後の私の挫折と山あり谷ありの人生はまた次回以降更新します。