
自己啓発本のベストセラーでもある『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラーの教え」』。
既に読んでいるという方も、読んだことはないがタイトルは知っているという方もいらっしゃるかもしれませんね。
フロイト・ユングと並び、「心理学の三大巨頭」と称されるアルフレッド・アドラー氏。
アドラー心理学が画期的なのは、“トラウマを明確に否定する”点です。 現在の状況を過去の経験との因果関係としてとらえるのではなく、その経験に与える“意味”によって自らを決定づけるのだということ。
つまり、起こった事柄自体がどうであるかに関わらず、それを自分がどう受け止めるか、何を選ぶのかにより未来を変えられる、「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」という、力強いメッセージです。
対人関係のカードは常に自分が握っている。
「人が抱えるあらゆる悩みはすべて対人関係に起因する」とするアドラーは、承認欲求を否定、「人の期待を満たすために生きてはいけない」と提唱します。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないコストを払いながらも、「自分の生き方」を貫く。
私が変わったところで変わるのは私だけ。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。そう思える自分になることこそが“真の自由”を手に入れることができるのです。
それなのに、世の中の多くの人は、自分が変わることによって相手が変わるという「見返り」を求めすぎなのかもしれません。
伝わらない、わかりあえない理由や原因を求めて四苦八苦してしまう。そんな風に、他者を変えようと自分の言動を変えるのは間違った行動であり、自分の課題と他社の課題を分離すること。
どんな時も誰に対しても、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、ただそれだけ。相手がどのような評価を下すかは相手の課題であって、それに振り回されてはいけないのです。
皆さんはいかがでしょうか。
SNSの投稿のいいね!の数に一喜一憂してしまったり、「おかしい」と思うことを多数派に流されて言えず終いだったり、親や上司の反対を押し切ってまで自分の意思を貫くことができなかったり、、そういう経験は誰にも一度はあるのではないでしょうか。
私自身は比較的、人の意見に左右されない、侍的な面があるのですが(笑)、それでも、わかり合えないことに落ち込み、涙を流すことも多々あります。
でも、人は、「ここでは自分を貫くけど、ここでは自分を押さえる」なんて器用ことできないと思うのです。
どちらか一方の生き方を選ぶしかできないし、それなら「自分を貫く」ことを選びたい。ある方面の対人関係は終わるかもしれないけれど、でも別の方面の対人関係の絆は深まる。
それは伝え方、付き合い方、コミュニケーションというような問題ではなく、仕方ないことだと思うタイプの人間でもあります。

ほめてはいけない。
さて、アドラーは、例え親子で会っても、相手と対等に付き合うため「褒めたり叱ったりするなどの支配をしてはいけない」、他社の課題に土足で踏み込んではいけないともいいます。
確かに、ほめるというのは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面がありますよね。
というのも、私自身、この「ほめる」「ほめられる」というのが幼少期から苦手でした。自分が好きで没頭していることに対してほめられると、モチベーションが下がってしまう(笑)。別にほめられたくてやっている訳ではない、、没頭できるように見守ってくれるほうが嬉しかったりしました。
とても子どもらしくないですが・・・笑笑。
アドラーも、「課題の分離」と「放任の違い」を指摘していますが、子どもがなにをしているかを知らない、知ろうともしないというような放任ではなく、何をしているのかを知った上で見守るということ。
「勉強の必要性」など、課題の重要性を伝えた上で、子どもの意識がそこに向いた時に全力でサポートすることが大切だといっています。
ほんとうにそのとおりだと感じます。
これは、私たち母親が意識したい視点ですよね。
私も、「ほめて伸ばす」的な育児書を読んだり、自分の子育てが間違っていないか不安になっていた時期もありましたが、そもそも私も含めて世の中のお母さんたちは、子どもを自分の理想にもっていこうとし過ぎていると最近は感じます。
その理想が未来永劫正しい選択になるのかなんてわからない変化の激しいこれからの時代においては、大人が導くことよりも、子どもが自分で考えること、選択すること、時には失敗も経験することのほうが、ずっと大切ではないだろうか、、そんな風に思うのです。

誰かが私に何をしてくれるかではなく、私が誰かに何をできるのか。
アドラーが提唱する対人関係のゴールは、信頼でつながる横の関係としての「共同体」そして、「他社貢献」です。
劣等コンプレックスや偽りの優越感、承認欲求という「自己への執着」から脱却し、「他者への関心」に切り替えていくこと。他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何をできるかを考え、実践していくこと、その活動を通し、「わたし」の価値を自ら実感できること。
#風の時代
とも言われる新しい時代における生き方そのものなのかもしれませんね。
私自身、最近気づかされたことがありました。
それは、私の生きがい、パッションを感じる瞬間は、「夢に向かって一歩を踏み出したいとする女性を応援」できるときなのだということを。
今私が事業としていること、活動していることはすべて、夢に向かって一歩を踏み出したいとする女性を応援したいという「私自身の夢」を実現するための「手段」であり、私はたとえそのことを誰にも評価されなかったとしても、その私の夢を目指している時点で幸せなのだということを。そういう場を与えられていることに感謝です。
人はいま、この瞬間から幸せになることができる。
もしも、あなたが本当の自由と幸せを手に入れたいと思うなら、誰かと比べたり、誰かに評価されることを求めるのではなく、あなた自身がパッションを感じること、誰かの役に立てることを見つけて、それに向かってまっすぐにチャレンジする勇気を持ちましょう。 それを達成した瞬間ではなく、その過程自体が幸せの一歩です。
対人関係、子育てなどの悩みを超えて、まずは自分が他者貢献を目指すこと。そうすればまわりや相手を変えようとしなくても、きっと言葉では伝わらない何かを伝えることもできるはずだと信じて。
何がどうなるかに関わらず、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、そんな生き方を目指していきたいですね。