
昨年、行きつけの美容師さんに教えていただいたアーティスト藤井風さん。
現在24歳の彼は、10年近く継続してきたYouTube投稿からのメジャーデビュー。過去のピアノの弾き語り動画は私たち世代にも嬉しい選曲で、また彼の創作する歌詞は精神年齢が高く、幅広い世代の胸に響きます。
“ハイヤーセルフ”(高次元の自己)という言葉をさらっと使うところや、瞑想する習慣があること、ベジタリアンであることなどを爽やかに公表しているところも、スピリチュアル性や頑ななこだわりではない軽やかさというか、新しい時代の風を感じる方です。
そんな藤井風さんが先日、読売新聞のコラムに取り上げられていました。 https://www.yomiuri.co.jp/column/wideangle/20210712-OYT8T50000/
藤井風さん自体は時代を意識しているという訳ではなく、彼(ような価値観)の時代が来たというべきだと思うのですが、2020年5月にリリースしたアルバム『HELP EVER HURT NEVER』の最後に収録されている楽曲『帰ろう』で彼が表現した「死生観」は、以前、報道ステーションでも取り上げられていました。
ちょうと読売新聞さんの記事が出た同じ時期に、
なぜ、私たちは新型コロナウイルスを与えられたのか?
聖心会シスターとほめ育財団代表が贈る 今、私たちが考えるべきこと
鈴木秀子(著)原邦雄(著)
という本を読んでいた私。
この報道ステーションでの藤井風さんのコメントを思い出したのです。
死ぬときのことを考えるのは
全然ネガティブな話とか怖い話じゃなくて、
今どうやって生きていけばいいか考えるきっかけになるし、
よりよい今をみんな生きていけるんじゃないか
誰かがちょっといい気分で人生を送れたりするために
音楽をやっているので、それがすべて。
それだけで生きていけます
という趣旨のコメントをしていました。

先ほどの読売新聞のコラムもそうですが、私たちは「コロナ禍で何を学んだのか」ということを考え、「コロナ禍で得た教訓」を胸に刻み、これからの社会のあり方や生き方に備えていくことはとても大切だと感じます。
私は、東日本大震災の時に、自分の価値観が大きく変わりました。
震源地に近いエリアにお住まいだった方に比べると、当時千葉に住んでいた私が受けた被害は小さなものでしたが、いつ何が起きるのかわからないということ、万が一の時に持っていけるものなど何もないこと、生きているということ自体がありがたいこと、当たり前に感謝し助け合うことこそが大切だということを痛感しました。
「欲」を追求すると終わりはないけれど、もっともっと…と欲しがる人生よりも、当たり前に感謝できる生き方、与えられたものを人に与えられる生き方こそが幸せ。幸せというのは目には見えないものなんだと、それまで頭では何となくわかっていたことがすーっと自分の意識の中に落ちてきた感覚がありました。
『なぜ、私たちは新型コロナウイルスを与えられたのか?』の書籍にも、人間の幸せ、不幸せを決めるのは、何が起こったかではなく、何かが起こった時に「どう反応するか」。と書かれていて、とても共感しました。
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ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
あぁ今日からどう生きてこう
≪帰ろう 歌詞より抜粋≫
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コロナの影響はまだまだ収まる様子はなく、多かれ少なかれ、私たちは皆、不運とも言えるような被害や苦しい時期から抜け切れていません。ですが一方で、今こうして生きている、それこそがありがたいということも目の当たりにしています。
皆さんは今、コロナ禍から何を学んだと感じますか?
私自身はやはり、苦しい時こそ支えてくれる人に感謝し、誰かを支えられる存在、与えられる側になれるような生き方を目指したいと思います。