【親の教育意識】あなたは我が子の何が心配ですか?

今日は、いつもとは少し方向性を変えて、子育て・子どもの教育について。
先日参加したコチラのイベントに参加して私が感じた親の教育意識について書きたいと思います。

新しい時代をけん引するZ世代のリアル!高校生起業家と現役高校生が語る「流行・教育・価値観」とは

https://jyuku.mamanoyume.com/course/detail/425

見守るというよりもリスペクトする

子どもの交友関係や学校生活、教育などに不安や疑問を抱いているママとZ世代が対話を通じて、相互理解を育んでいくという主旨で、高校生起業家の株式会社Unpackedメンバーの皆さんが企画されたというイベント。

私自身、正直なところ、「子どもの交友関係や学校生活、教育などに不安を持つ」という感覚があまりないので、主催側でありながら、どういう展開になるのかぁ、と思っていました(^^;

うちの子がまだZ世代より下の小学生だからということもあるのかもしれないですが、イベントを終えて私が思っていた以上に、やはり世間のママたちは、子どものことを色々と心配しているんだなぁ…ということ。一方で、子どもの方も親に対して遠慮を抱きながら色々と悩んだり決めたり、相談したりしてるんだなぁ…ということを改めて知ることができました。

子どもの進路や将来が心配、事件や事故にまきこまれないか心配、学校での人間関係や交友関係が心配、健康でいて欲しい・・・

そんなママたちの声を聴きながら、「なるほどー」と思いつつも、一つも心配なことが浮かばなかった私(笑)。私自身、日頃から、「こうなったらどうしよう」とか「こうなればいいな」とか、あまり考えて生きていないことを我ながら痛感した時間でもありました。

子どものことを心配するのではなく、「信じて見守る」というスタンスももちろんあるのだと思いますが、私の場合、それとも違うような。子どもは私たち親とは別の「個人」として、リスペクトするという方が私の感覚に近いです。

というのも、未来は予測できないし、所詮人は自分以外は他人。
現在、そして自分にとっての「真」は、未来、そして他人にとっての「真」とは違うので。

例え我が子であっても、親の「真」と子どもの「真」は違うという前提に立てば、リスペクトした上で、相談されたり意見を求められた際には、「You」ではなく「I」で会話するしかないかなぁと思うからです。

「今日こんな話を聴いて、ママはこう思ったんだよね」
「こんなとき、あなたならどうする?」
「自分にとって一番優先順位の高いものが何なのか考えて、それ以外のことは余った時間でやればいいんじゃないかなぁ」
「片づけやお手伝いは、同じ空間で生活している人への思いやりという視点で考えるんだよ」

これは、私が小学生の息子に対して話している日頃の会話です。
相手が子どもだから大人が教えるべきという感覚はあまりなくて、例え小学生であっても、こういう会話を対等にできるくらい、子どもは「自分」というものを持っていると私は感じています。

「●●しなさい」と言われても、それが自分にとって意味があるものでないと人は行動には起こせないので、「私はこう思っている」ということを伝えた上で、そのあとどうするかは相手(子ども)に委ねるほうがいいんじゃないかと私自身は考えています。

「やりたいことがみつからない」は問題ではない

ところで、イベントに参加しているママからこんな質問がありました。

「うちの子はやりたいことが見つからないと言っているのですが、何をすればやりたいことが見つかるのでしょうか」

登壇者の方々からは、「出会いが大事」「憧れの存在を見つける」などのアドバイスもあり、なるほどねとは思ったのですが、私自身、この問い自体が間違ってるんじゃないかと思えてなりませんでした。

そもそも、やりたいことが見つからないということは問題なのか。
私の答えはNoです。

敷かれたレールを走るのではなく、「自分が本当にやりたいこと」を真剣に考え始めたということは素晴らしい成長です。そして、それがなかなか見つからないということは真剣に考えている証拠。
「正解」がないことを粘り強く考え続ける思考力は、これからの時代においてとても大切なチカラであるにも関わらず、“こうすれば見つかる”というハウツーを親が見つけてあげようと奮闘するなんて間違っていると思いませんか?

そういうものは、本人がとことん悩んで答えを出すしかないし、そういう壁にぶち当たる時期も人それぞれです。「うちの子はもう高校生なのに将来に対するビジョンが不明確」だなんてまったく問題ないと思うのです。

登壇者の一人が、「やりたいことを見つけるというよりは、やりたくないことを回避する」と言っていたのが、まさに私と同じ考えでした。
人は、「やりたいこと」よりも「やりたくないこと」の方が明確に認識できるもの。まずは、やりたくないことをやらないと決めることが、やりたいことを見つけて自分の人生を生きるための一歩だと私も思います。

「~せねばならない」というような、「世間の常識」という罠にはまって生きていると、今自分がやっていることが「やりたいこと」なのか「やりたくないこと」なのかすらわからなくなってしまいます。
余計な心配をするよりも、むしろ親の方が、子どものワガママを「よし、よし」と広い心で受け止めることができる視座を養った方がよいのではないかと私は思います。

世の中は今、わかりやすい“ハウツー”で溢れています。
「こうすればこうなる」という答えばかりを求めていると、自分の視座はどんどん低くなるばかりです。

「新しい時代」「Z世代」というようなものを、これまで通用していたハウツーが別のハウツーに取って代わるというようなレベルでの認識で理解するのではなく、「これからの社会のあるべき姿」「人としてどう生きるべきなのか」という、高い視座で考えることができると見える世界も広がるのではないかと感じます。
皆さんはいかがでしょうか。

最後に、newspicksで私が興味深く拝見した番組があったのでご紹介させていただきます。

【全編無料】親の教育意識をどうアップデートすべきか?
つるの剛士氏、松本杏奈氏らが徹底討論!

どの論客の皆さんのご意見も、とても共感するものばかりだったのですが、今日のブログにあわせて山口揚平氏の以下の言葉を引用させていただきます。

教育内容は100年遅れ
親は教育の素人と自覚せよ

詳しくはぜひ、番組をご覧になってみてください。