
あなたは、本を読んだ後に、もやっとしたり、言葉にできない感情が込み上げたりしたことはありますか?
私自身、もともと本を読むのが好きで、興味のある本を自分で選んで読むことのほうが多いので、たいていの場合、読み終わった時にスッキリしたり、発見があったり、共感したり、学びがあったりすることが多いです。
ところが、今回初めて、最後のページに辿り着いたのにすっきりしない、この後にもまだ続きが読みたいと思う本との出会いがありました。映画を観た後に、「え?どういう意味だったの?」と思って終わることってありますよね?その感覚です(笑)
観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか
佐渡島庸平 (著)
を読みました。
株式会社コルク代表取締役社長の佐渡島さんは、ネットのニュースメディアの論客としてお話されているところを何度か拝見しました。威張らない、人と対立しない、「この人、頭いいな」と思わされることをさらっと発言する…というのが、私の佐渡島さんのイメージです。
本書は、「おわりに」で佐渡島さんが
中途半端な状態を、むしろさらけだすことによって「観察について考える参考になった」という人が現れたならば幸いだ。不完全だと感じるまま、本を出して良かったと思えるだろう。
と書いていたように、、読み終わった時に「すっきりしなかった」というのが率直な感想です。
ですが、それは嫌な感覚ではなかったというのも正直な気持ちでもあります。
読み終わった時に気づいたこと。
それは、私は本書を読んでいる間、佐渡島さんと一緒に「観察」について考えていたのだということです。
読み終わった時に、その思考の旅が、「佐渡島さんと一緒」から「ひとり」になったような感覚。この続きは、自分で見つけていかなければならないと気づいたような感覚がありました。
佐渡島さんの狙い通り(笑)、私は、「観察について考えるというのはこういうことか」ということを体感したのです。
人は自分がみたいものだけ見ている

本書の第3章は、「認知バイアス」について書かれています。
世界を正しく認知し、行動するこを妨げているのは“自分自身の脳”、つまり、私たちは、自分の思い込みや周囲の環境などの要因により、偏った認識や判断を行ってしまうことです。
さまざまなバイアスがあることを「意識」しながら、「観察」していくことで、これまで気づかなかった視点に気づけること。具体的なシーンをイメージできる内容で、自分の仕事や生活に当てはめて振り返りができるような内容でした。
そのなかで、とても共感したこと。
それは、佐渡島さんが瀧本哲史氏から言われたという、
「『起きていることはすべて正しい』と思うことは大切ですよ」。
実は私もこの1年くらいで、同じようなことを考えるようになりました。
白黒つけないと気が済まない、理不尽なことは許せない、20代30代をそんな風に生きてきた私も、最近ようやく、すべての出来事に対し、「よい経験をさせてもらえた」「私にとって意味のある出来事」と思えるようになったのです。
それが正しいかどうかというのは、自分の価値観、バイアスでしかなく、そうではない側面が存在することに漠然と気づきはじめました。何か起きた際にも、深呼吸する余裕を持つことができ、少し寝かせておくこともできるようになりました。
そうすることで、それが解決したか否かという事実や結果だけでなく、必ずそこから「気づき」を得られることに気づいたのです。
新たな気づきを得られるというのは、それに共感・同意するかどうかではなく、私の思考の拡がり、「資産」になります。それに気づいたのです。
その場で結論を出したい!即座に白黒つけたい!と思っていた昔の私は、損をしてたんだなぁとやっと気づきました(笑)。
正解を手放し、判断を保留することで見えるもの

本書を読んだ後も、私の「観察の旅」が続いているのは、第5章の『あいまいのすすめ』のせいだと断言できます(笑)。
本を読んだ後に、すっきりすること。それは、著者のいうことが完全に「わかる」理解できるということです。私はこれまで、「わからない」「はっきりしない」という状態がとても嫌いでした。優柔不断な人を批判的な目で見ることも多かったです。
でも、ちょうど本書の読む少し前くらいから、「多様性」と「正解のない世界」を意識しはじめました。物事には「絶対」は存在しない。それに気づいた私に、ちょうど同じことを本書は再認識させてくれました。
以前の私は、「言語化」することに努力を惜しまない面がありました。
言語化することに自信もあったし、モヤモヤしている人、優柔不断な人に対しては、話を聞いてあげて、代わりに言語化してあげることを「親切」だと思っていました。
でも、最近それはちょっと違うんじゃないかと感じ始めたのです。
私が自信を持って伝えるので、みんな「そうかもしれない」と思うのかもしれないのですが、そうではない面があるのではないか、グラデーションが存在するのではないかと。
ちなみに、少し前に私に、
『新しいものというのは、狙いにいけないもの』
『何?と思うような、ふわっとしたもの』
『あなたはその世界を目指したらいい。そうすれば、仕事に対してつまらないと思うことがなくなる』
と教えてくれた方がいました。
私はそのことについて、ずっとこの数カ月頭の片隅で考えていました。
今回、本書を読んで、それが佐渡島さんがいう、「あいまい×創造」の世界なんだと腑に落ちました。
私は長年ずっと、自分の飽きっぽさに悩んでいました。
年々積み重ねていく、今年の延長に来年がある、リピートしていただく案件などに、ある日ふと、糸が切れたように興味がなくなってしまうのです。
ゴールが具体的にイメージできているので、安心感はあるのですが、どうしてもつまらない、、投げ出して、壊してしまいたくなる(笑)。
私は、本書を読んで、初めて気づきました。仕事とは、「具体」がないといけない、それは私の思い込みだったということを。
「わからないこと、あいまいなこと」をそのまま伝える。
「わからないことをわからないまま伝えている作品を、僕は編集したい。」という言葉に、私は胸を打たれました。いや、胸を打たれたというような言葉では言い表されない衝撃?激痛?感涙?のような状態です。
『新しいものというのは、狙いにいけないもの』
とアドバイスしてくれた彼女の言葉の意味がやっとわかりました。
ふわっとした状態のまま、それを伝えていくこと、それが私の目指すべき世界なのだということ。
彼女は、『そうすれば、美香さんは飽きることがなくなる。飽きている暇すらなくなる』と言ってくれました。
何が言いたいのか?と思われる方もいると思うのですが(笑)、私の表現力が乏しいので、ぜひ本書を読んでいただきたいです。
一流のクリエイターは、愛にあふれている。
本書を読んでから、佐渡島さんのこの言葉が脳裏に焼き付いています。
あいまいな、ふわっとした状態に耐えられるようになりました。
迷ったら保留する、思ったことをすぐ口にせずに様子をみる、時間をかけて観察することが少しずつできるようになりました。
そうすることで、今までの私だと見落としていたような、新たな問いに出会うことができるようになった気がしています。
一流のクリエイターには「観察力」が必要。
それは結果であり、一流のクリエイターは対象への「愛」にあふれ、それを「愛」を持って表現しようとしている、それ自体が「観察」なのだということ。
一流のクリエイターになるということは、「愛」を理解するということ。
そうすれば、見える世界が変わってくるのだと。
そうしたことを考え、気づくことができる本です。
興味のある方は、ぜひ読んでみてくださいね。