悩む女性

真似されることに寛容になろう

悩む女性

自分ではあまり意識したことがないのですが、たまに「百々さん。これ、真似されてますよね?」と言われることがあります。「そうですかね?」と返すと、「百々さんが前実施した企画と似てますよね」と言われるのですが、大概の場合、「なるほどねぇ、そういう企画やったこと自体忘れてた!」という私の発言に、相手が爆笑するのでした。

皆さんはこんな場合、どう思いますか?

そもそも、真似をするというのは悪いことではないんですよね。
「守破離」ともいわれるように、何かを学んでいく際のステップにも真似する要素が含まれています。

守:師の教えを忠実に守り

破:鍛錬と応用を重ね

離:これまでの過程にこだわらず自己流を築く

ように。

「守」で終わってしまうのか、「離」まで到達するのかによりレベルの差は出てきますが、ビジネスにおいても、「TTP(徹底的にパクる)」とかって言う人もいるくらいです(笑)。

そんな風に意識的に真似しているものと、そうではないものもあると思うのですが、そうではないほうが「閃き」とか「直観」なのかなぁと私は思ってまして。

「閃き」や「直観」は、その時に降りてきたように思われがちですが、過去の記憶や経験(意識的・潜在的に関わらず)がそれらに影響を与えています。

ですので、自分が考えたり経験したものだけでなく、「見た」ものが記憶として残っていた際は、それが影響して「閃き」や「直観」につながったりするんですよね。

たまに、「その話、こないだ私がしたよね?」というような話の内容を、あたかも今自分が思いついたかのように話す人がいたりしませんか?(笑)

ちょっとびっくりすることもありますが、私自身、それはその人の潜在的な記憶の中に私の話が残っていたんだなぁ、私から聞いたことなんて忘れてるのだと思うけど、そんな風に印象に残ったのなら、まぁいいかと思うのでした。

その人に悪気はないのです、仕方ない(笑)。

食事

でも、私が、「真似されることに寛容になろう」と言っているのは、仕方ないからではありません。

というのも、そもそも「情報」や「アイデア」「企画」というのは、生まれた瞬間から鮮度がどんどん落ちていると思うからです。

1番に見つけたんだ!!なんてこと、あまり重要じゃないかなぁと。

更には、「アイデア」や「企画」に関しては、誰がそれを料理するかによって、仕上がりが断然違ってくると感じるからです。自分の腕に自信があれば、レシピをパクられるなんてこと、どうでもよいと思いませんか?

そういう意味では私は、情報もアイデアも企画も、放出するタイプです。

「ここでそんなに喋っていいの?」と言われることもあるのですが、たくさんの人に話したことで、そこから得られるリアクションや意見がまた新たなネタになるので。

思いついたこと、宝箱に入れて大切にしまっておくよりも、誰かと一緒に動かしたり、育てたりしたほうが断然楽しいと思いませんか?

真似された!と騒ぐよりも、そのステージをビューンと通り過ぎちゃったほうが得です。

そんなことでいちいち立ち止まらずに、突き進んでいきましょう。

話す女性

ここでアイデアに関する名言をいくつかご紹介します。

多くの場合に一番難しい部分は、自分の古いアイデアを捨てるということ

(ポール・グレアム / アメリカのエッセイスト)

どんなに小さくても気づいたこと、思ったこと、観たことを仲間に話したり伝えてみよう。アイデアは出てくるし勇気も出てくる

(本田 宗一郎)

全てのアイデアは過去に自分が触れてきた人様のアイデアの断片の組み合わせでしかない場合が多い

(森岡 毅)

いかがでしたでしょうか。

アイデアはどんどん語ったほうがよさそうですね!

真似されることに寛容になり、思いついたこと、感じたことなどをどんどん人に語り、たくさんの人を巻き込みながら、想いをカタチにしていきましょう。