自分と向き合う時間が本当に大切なものとつながる私をつくる

今年の8月に発行された
『つながらない練習』安藤 美冬 著
という本をご存知ですか?

気になりつつまだ読めていなかったところ、
ペア読書コミュニティ「ペアドク」さんが、著者も参加する読書会を開催されると伺い、すぐに申込み。参加者同士で交流するフル参加枠で参加させていただきました。

以前、日経ビジネスの記事、圓窓代表取締役 澤 円 氏の
「自分らしい自分でいる」ために僕たちは「東京をやめた」
で、山口周 氏が次のようにコメントしていたのにとても共感しました。

僕は『ビジネスの未来』という本で「幸福感受性」という言葉を出したのですが、この言葉は今の時代のキーワードだと思っています。昔の僕がそうだったように、多くの人が、世の中で一般的に素敵(すてき)といわれていることをしています。それが本当に楽しければいいんですけど、本当に楽しめているか不安という人が、かなりの数いるわけです。
それで、その人たちは何をするかというと、その状況を写真に撮ってSNSにアップするんです。それでみんなから「いいね」をつけてもらって、「自分は楽しんでいる」ということを、外を経由して確認する。

この記事の中で、澤氏も、
今、多くの人が悩んでいるのは「人間関係をやめる」ということらしいですね。
と語っているように、“承認欲求であふれた世界”に疲れた人たちが増えているのかなと思います。

誤解を恐れずに言うなら、私は誰がどこに行ったとか、何を食べたとか、誰と会ったとか、正直あまり興味が無いです。自分も興味がないので、自分のそうした日常をSNSにアップしても誰も興味ないでしょ…と思ってしまいます。

本当にこの人に教えたい・伝えたいと思うことは、個別にメッセージしますし、自分も個別にメッセージをもらったほうが嬉しい。

でも、そう思うと、SNSに投稿することが何も無くなるんですよね(笑)

なので、自分的には「こんなネタ、別にアップしなくてもいいかな」と思いながら、一生懸命、SNSに励んではみるのですが、内心は面倒くさいな…みたいな。
それでも、SNSを通じて知り合いが増えたり、頻繁に会えない友人とコミュニケーション取れたりするのは楽しくもあります。SNSを辞めるというところまでは考えたことがありませんでした。

でも、、
コロナ禍を機に、「言葉にできない重さ」をSNSに感じるようになりました。

先日、街を歩いていたら、
『みんなで乗り越えよう』
『明日はきっといいことがある』
みたいなキャッチフレーズを使っている広告をいくつか目にしました。

社会の状況を踏まえたフレーズなんだとは思いましたが、私自身は「何か違うよな」という気持ちに。こういう言葉って外に向かって発するものではなく、自分の内に向かって発するものだと思うからです。

同様に、コロナ禍を機に、SNSにも「私、頑張ってます」「前向きに頑張ろう!」みたいな言葉があちこちに増えたと思いませんか?

山口周氏がいうようにそこにたくさんの「いいね」がつくことで、頑張ってる自分、前向きな自分を初めて認めることができるのかなと。誰かに認めてもらえることで自分を認めることができる、承認欲求をSNSで満たすのではなく、自分で自分を認めてあげられるようになりたいですね。

『つながらない練習』で、安藤美冬さんもこんな風に仰っていました。

承認欲求は、「誰かに認められたい」という感情だが、ほとんどの人は、別に「SNS」で認められたいわけではないはずだ。愛する人から、そして自分の仕事や作品そうしたもので認められたいというのが本当のところではないか。

直観が研ぎ研ぎ澄まされ、ひらめきが降りてくる

安藤美冬さんの著書『つながらない練習』ですが、これは“SNSを辞めましょう”という本ではありません。情報や人に振り回されない自分になるために、“自分と向き合う”ための本というのが正しい理解です。

実は私自身、この本を読む少し前から、iPhoneのスクリーンタイムを使って、少しずつSNSの利用時間を減らすことを試していました。というのも、スクリーンタイムでのSNS利用時間がどんどん増えている自分に少し危機感を感じていたからです。

私の仕事は、事業企画、イベント企画など、アイデアを生み出すことが求められる仕事なのですが、そのためにはぼーっとする時間、空想にふける時間が欠かせません。

そして、何より大切なのは、“人と違うことを考えること”。

世の中の大半の人が、今これにハマっている、こういうことを考えている、ここに不満を持っているということを知り過ぎてしまうと、アイデアに拡がりが生まれなくなるからです。
私のような仕事をしている人間は、マジョリティではなくマイノリティでいること、それによりマジョリティの人に“気づき”を与えることができるか否か、が重要だからです。

SNSの利用時間を減らしてすぐに気づいたことは、本を読むスピードがアップし、読める冊数が増えたことです。本を読む機会が増えることで考える時間も増えました。
結果として、私自身もここ最近、安藤さんがいうように、直観が研ぎ澄まされ、ひらめきが降りてくるようになりました。そして、偶然かもしれませんが、最近ご依頼をいただくお仕事が「立上げ」のお仕事ばかりになってきました。

こうした変化は人によって違うと思うのですが、もしもあなたが今、何かに挑戦したい、何かを変えたいと思っているなら、試してみるとよいかもしれません。
「確かに」という変化が現れるのではないでしょうか。

自分も相手も尊重する

本書で私が一番共感したのは、「自分を許す」ということ。

思い描いた人間性や暮らし、社会的立場、完璧な自分像。それとはかけ離れた自分を惨めで悲しく感じることもある。

そんな時、「自分を許す」ことができるかどうか。
それが自由につながるということ。

完璧ではない自分を許せることで自分も相手も尊重できるようになり、自分と向き合うことで「本当に大切なもの」とつながれる自分になれる。

私がこのことに気づいたのは、40歳を過ぎた頃からでした。
著者も40歳を少し過ぎた年齢。

「40歳という節目はそういう年齢なのかもしれない」と、読書会で語り合った若い女性たちに話したら、「そうなんですね!」と驚いていました。その彼女たちの顔を見て、改めて「やっぱりそうだ」と感じてしまいました(笑)。

40を迎えるまでは、完璧な自分に到達できていないことを諦めることができなかった。まだまだやれる!と思っていた。だから、完璧ではない他人に対しても「努力が足りない」と思っていた…

でも、40を境に、「これはこれでいいんじゃないか」と自分の現状を肯定し、満足できるようになった。それと同時に、他人に対しても、「いろいろあるよね」と思えるように。

イライラしなくなったし、楽に生きられるようになりました。
よい意味で丸くなったんでしょうね(笑)。

今、このブログを書きながら、ふと頭をよぎったこと。
それは、“自分らしく生きる”ことができるようになるのは、もしかしたら人生の後半からスタートするのかもしれないということです。

人生の前半は、いろんな人やものに触れ、その都度、「自分」というものが変化するのかもしれない。でも、人生の後半に入ると、要らないものが削ぎ落されて、「自分らしさ」が形成される。

そんな風に思えば、人生の場面場面の自分が愛おしくなりますね。

よろしければ、安藤美冬さんの『つながらない練習』も読んでみてくださいね。