話題の映画「えんとつ町のプペル」。皆さんもご覧になりましたか?
マルチに活躍されている西野亮廣さんが「夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の縮図で、『えんとつ町のプペル』は僕自身の物語でもあります」と語る、夢を信じて行動し続けることの大切さをメッセージしている物語です。
「夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる」というのは、経験したことのある人にしか、その苦しさはわからないと思うのですが、本当に世の中の人がみんな自分のことを笑っているのではないか、私の敵なんじゃないかという気持ちにさせるものです。

実は私も、西野亮廣さんほどではないですが、そういう経験があります。
東京から地元に戻り事業をスタートしたばかりの頃。
何をやっても、何を発信しても、「東京っぽい」「生意気」と言われ、「あとから来たくせに誰の許可を得てやっているんだ」というようなことを言われたり、あることないことを様々な場所で言われ、当時、週2日勤務していた先に届いた私宛の誹謗中傷に関して、当時の上司に呼び出され、事情を確認されるという経験までしたのです。
誹謗中傷の内容よりも、それを読んだ人がそれを信じてしまうという状況にとても落ち込みました。
「百々さんのご活躍はいろんな方から伺っています」
初対面の方にそんな風に言われると、当時の私はそれをネガティブにしか受け取ることができず、街中の人たちが自分のことを嫌っているのではないか、自分は不要な人間なんじゃないか、そう、まさに「ゴミ人間」なんじゃないかと感じていました。
これが地方、村社会の現実です。
ですので、私自身、西野亮廣さんが伝えたいメッセージの意図がとてもよくわかりますし、きっと世の中には同じような経験をしている人がたくさんいるのだと思っています。

私自身も、ある時、「これは私が同じような想いをしている人に寄り添える人になれるための試練なのかもしれない」と思える瞬間があり、その日を境に吹っ切れて今があります。
そして、吹っ切れたと同時に、それまで見えなくなっていた仲間や応援してくださる方々の存在があることに気づくことができました。何事も、自分ひとりではなく、そういう方々の存在があってこそ実現できていることに、以前より感謝できる自分になれました。
映画をご覧になった方はお気づきだと思うのですが、えんとつ町の「由来」は、決して、人々を不幸にするためのものではなく、はじめは人々の幸せを思っての施策が発端でした。それを守るための手段が目的化してしまい、結果として、人々の自由を奪ってしまった…
決してはじめから悪意がある訳ではないというのが、社会の構造が複雑な点でもあります。敵とか味方とか、相手が悪だとか、そういう問題ではないんですよね。
あなたが今、敵だと思っている相手も、実はその人なりの「正義」で動いていたりするものなのです。時には、そこを理解すること、わかりあえなくても認めることが必要な局面もあるのかなと感じます。
あなたが「ルビッチ」に自分を重ねるのか、「プペル」に自分を重ねるのかで、抱く想いも違ってくるのだと思うのですが、本当の強さは優しさの中にあるということは共通に感じる感情ではないでしょうか。
「えんとつ町のプペル」は最後、ハッピーエンドに終わりましたが、もしもその時はその想いがカタチにならなくても、みんなが理解してくれなくても、優しさの中にある本当の強さを持ち続けることができれば、誰に賞賛されなくとも、あなたは勝者だと思います。
お互いに頑張りましょう。